欧州委員会が発表する戦略文書は、将来のEU規制や資金配分、産業政策の方向性をいち早く映し出す「先行指標」です。近年のEU政策は、脱炭素や経済安全保障を単なる規制対応として扱うのではなく、補助金、許認可の迅速化、需要創出を組み合わせることで、民間投資を呼び込む産業競争力政策へと明確に転換しています。
本ページでは、こうしたEUの主要戦略文書を読み解き、どの分野に政策的後押しと資金が集中し、どのような投資機会が生まれつつあるのかを整理します。日本企業および投資家の皆様が、欧州市場における戦略的な判断を行うための実務的な視点と示唆を提供します。
脱炭素と競争力強化
2025年2月26日:欧州委員会、「クリーン産業ディール(Clean Industrial Deal、以下CID)」を発表

© European Union, 2025 (EC Audiovisual Service, Nicolas Landemard)
クリーン産業ディール(CID)は、欧州産業の脱炭素化と国際競争力の強化を同時に実現することを目的とした、EUの中核的な産業戦略です。欧州委員会は本ディールを通じて、脱炭素を単なる規制対応としてではなく、投資誘導と産業基盤強化を通じた成長戦略として位置づけています。具体的には、イノベーションの加速、サプライチェーンのレジリエンス強化、クリーン製造業の育成を一体的に進めることで、2050年のネット・ゼロ達成に向けた持続的な産業基盤の構築を目指しています。
1. 目的と重点分野
CIDは、以下の2分野を戦略的な重点対象としています。
・エネルギー多消費型産業
エネルギー価格の高騰や国際競争の激化を背景に、EU域内産業の競争力維持を図るとともに、脱炭素投資を通じた構造転換を支援します。
・クリーンテック産業
再生可能エネルギー、蓄電池、水素、低炭素素材などの分野において、EU域内での規模拡大と技術集積を促進し、脱炭素化の主要な成長ドライバーとして育成します。
これにより、EUは脱炭素と産業競争力を両立させる産業モデルの確立を目指しています。
2. コア施策
CIDでは、以下の施策を通じて投資環境の整備を進めています。
① エネルギー価格の低減(Affordable Energy)
企業および家庭向けのエネルギーコスト引き下げを図るとともに、域内クリーン電力への転換を加速させ、エネルギーコストの予見性を高めます。
② 牽引市場の創出(Lead Markets)
公共調達において、持続可能性、レジリエンス、欧州優先基準を導入することで、クリーンテック製品への需要を創出し、民間投資を呼び込む市場環境を整備します。
③ 脱炭素投資の拡充(Financing)
イノベーション基金の強化、InvestEUの改定、EU資金と民間資本の連携を通じて、脱炭素関連投資を促進します。加えて、国家補助ルールの簡素化により加盟国による支援を拡大し、総額1,000億ユーロ超の投資誘発を見込んでいます。
④ 循環性と重要原材料へのアクセス(Circularity & Access to Materials)
重要原材料への依存低減を目的に、EU規模での共同調達や循環経済の推進を進め、新たな循環経済法(New Circular Economy Act)を通じて一次原材料への依存を抑制します。
⑤ 国際市場とパートナーシップ(Global Markets & International Partnerships)
原材料および技術への安定的なアクセス確保に向け、国際協力を強化するとともに、2035年に約2兆ドル規模と見込まれる世界のクリーン技術市場において、EU産業の競争力確保を目指します。
⑥ スキル育成(Skills Enhancement)
産業構造転換を支える人材基盤を強化し、クリーン産業分野における技能不足への対応を進めます。
⑦ 行政手続きの簡素化(Simplification)
脱炭素プロジェクトに関する許認可手続きを迅速化するとともに、補助金規制の簡素化を通じて、事業者の事務負担を軽減します。
3. 産業アクセラレーター法との連動
欧州委員会は、CIDを補完する枠組みとして「産業アクセラレーター法(Industrial Accelerator Act)」の準備を進めています。これは、フォン・デア・ライエン委員長が2025年9月の所信表明演説で、「クリーンテックの未来は欧州でつくられるべきであり、そのためには循環経済の加速が不可欠」と述べた方向性を反映したものです。本法案は、エネルギー多消費産業や主要エネルギーインフラの許認可手続きの迅速化、鉄鋼などを対象とした低炭素ラベルの導入、そしてクリーン・レジリエント・循環型の基準整備を通じて、産業の脱炭素化をさらに加速することを目的としています。
日本企業にとっての注目点
Clean Industrial Dealは、脱炭素を規制対応にとどめず、投資促進と産業競争力強化を同時に進める産業政策として位置づけています。エネルギー価格の安定化、許認可手続きの迅速化、資金動員策を通じて、EU域内での製造・投資を後押しする環境整備が進められています。また、域内製造能力やサプライチェーン強化が明確な政策目標とされ、EU市場向け事業を域内で展開する意義が高まっている点が注目されます。InvestEUなどを通じた投資動員は域外企業も対象としており、EU域内で事業活動を行う日本企業も政策支援の射程に入り得ることが示唆されています。
CIDの詳細につきましては、以下欧州委員会の公式資料をご参照ください:
https://commission.europa.eu/topics/competitiveness/clean-industrial-deal_en
重要原材料(Critical Raw Materials)
EUは「重要原材料法(Critical Raw Materials Act:CRMA)」に基づき、リチウム、ニッケル、コバルト、レアアース等の安定供給確保を戦略課題として位置づけています。採掘・加工・リサイクル・代替素材開発を一体で支援し、サプライチェーンの強靭化と第三国依存の低減を進めています。

戦略的プロジェクト制度
CRMAの下で認定される「戦略的プロジェクト」は、許認可手続きの迅速化、資金調達支援、需要家(オフテイカー)との連携促進といった優遇措置の対象となります。2025年3月には、EU域内13か国から47件のプロジェクトが初めて認定されました。また、2025年6月には、EU域外(第三国)に所在する13件の戦略的プロジェクトも選定されており、EU市場向け供給を前提とする域外プロジェクトも制度的支援の対象となっています。
日本企業関連では、東海カーボンのグループ企業であるTokai COBEX Savoieが、黒鉛加工事業により戦略的プロジェクトとして認定されています。
また、三菱マテリアルは、欧州において二次精錬設備の新設やタングステンの100%リサイクルを目指す方針を掲げており、EUの重要原材料法(CRMA)および循環経済政策の方向性と整合した事業戦略を打ち出しています。同社は、戦略的重要原材料の循環利用や域内リサイクル能力の強化を通じて、EUが目指す資源安全保障およびサプライチェーン強靭化に貢献する姿勢を明確にしています。
行動計画「RESourceEU」
EUは、2025年12月に発表されたCRMAを補完する行動計画「RESourceEU」を通じて、供給安定化、リサイクル能力強化、投資リスク低減、国際パートナーシップの拡大を進めています。戦略的プロジェクトへの資金支援や許認可迅速化、共同調達・オフテイク支援などが盛り込まれています。
日本企業への示唆
これらの重要原材料に関するEUの枠組みにより、EU域内での事業展開に加え、第三国における資源開発・加工・リサイクル等のプロジェクトを通じてEU市場に関与する可能性が、制度的に明確化されています。戦略的プロジェクトの選定や金融デリスキング手段、第三国との協力枠組みを通じて、EU市場向け供給を前提とする域外プロジェクトも、資金支援や規制上の支援の対象となり得ることが示されています。重要原材料分野に関心を持つ日本企業にとって、EUとの協力や共同投資を検討する際の政策的基盤が整理されつつある点が注目されます。
関連リンク:
Selected strategic projects under CRMA
Selected strategic projects under CRMA
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運輸・交通分野(Transport Package)
EUは、高速鉄道の展開加速と航空・海上輸送における再生可能・低炭素燃料への移行を柱とする運輸パッケージを2025年11月5日に採択し、EU運輸システムの脱炭素化と競争力強化を戦略的に進めています。本パッケージは、EUの運輸をより効率的で相互接続性が高く、クリーンかつ強靭なシステムへ転換することを目的としています。

© European Union, 2025 — EC Audiovisual Service Photo: Bogdan Hoyaux
高速鉄道行動計画(Connecting Europe through High-Speed Rail)
高速鉄道行動計画では、2040年までに相互運用可能な欧州高速鉄道ネットワークの構築を目標に掲げています。汎欧州運輸ネットワーク(TEN-T)規則に基づき、主要都市間を時速200km超で結ぶことにより、欧州域内の移動時間短縮と域内接続性の向上を図ります。
計画には、
・国境間インフラにおけるボトルネックの解消
・高速運行(250km/h超を含む)に向けた技術・運用条件の整備
・協調的な資金動員と投資環境の改善
・線路容量配分や標準化・認証を含むEUレベルのガバナンス強化
が含まれています。
持続可能な交通投資計画 Sustainable Transport Investment Plan(STIP)
STIPは、航空および海上輸送分野における再生可能・低炭素燃料への投資促進に向けた共通枠組みを示しています。RefuelEU AviationおよびFuelEU Maritimeの目標達成に向け、2035年までに約2,000万トンの持続可能燃料供給が必要とされ、これに対応する大規模投資が想定されています。
InvestEU、イノベーション基金、欧州水素銀行、Horizon Europeなどを通じ、2027年までにEU制度を通じた資金動員が進められる予定です。
行動計画の実装と国際連携
EUは、合成航空燃料(eSAF)の市場形成に向けたEarly Movers Coalitionの試行や、燃料生産者と購入者を結びつける仕組みづくりを進めています。あわせて、EU基準を満たす燃料の国際的な生産拡大と輸入促進を目的に、第三国とのパートナーシップ強化も進められています。
日本企業への示唆
EUは、高速鉄道インフラと持続可能燃料への大規模投資を通じて、域内交通網の高度化と脱炭素化を同時に進める方針を明確にしています。高速鉄道分野では、2040年までのTEN-T完成を見据え、国境横断インフラの整備、許認可の迅速化、資金動員の強化が打ち出されており、鉄道車両、信号・制御、建設、デジタル関連分野での事業機会拡大が示唆されています。
また、航空・海上輸送分野では、持続可能燃料の導入拡大に向け、InvestEU、イノベーション基金、Horizon Europe 等を通じた公的資金の活用と民間投資の動員が制度的に位置づけられています。これにより、燃料製造、供給、関連技術を含む分野で、EU市場を前提とした投資・事業参画の余地が拡大していることが読み取れます。
総じて本パッケージは、EU域内での交通・エネルギー関連投資を中長期的に後押しする政策枠組みを示しており、将来的にEU市場への進出や事業展開を検討する日本企業にとって、制度環境の方向性を見極める上で重要な指針となっています
◆詳細情報
Communication from the Commission: Connecting Europe through High-Speed Rail
Communication from the Commission: Sustainable Transport Investment Plan
Questions and answers – European high-speed rail network Plan
Questions and answers – Sustainable Transport Investment Plan
Factsheet – European high-speed rail network Plan
Factsheet - Sustainable Transport Investment Plan
News item - Commission launches plan to accelerate high-speed rail across Europe
Webpage - High-speed rail plan - Mobility and Transport - European Commission
Webpage - Sustainable transport investment plan - Mobility and Transport
自動車産業
EUは、国際競争の激化や技術革新への対応を背景に、域内自動車産業の競争力維持と生産基盤の確保を目的とした「自動車部門に関する産業行動計画」を2025年3月5日に発表しました。本計画は、自動車産業におけるイノベーション、サプライチェーン、雇用、規制環境を包括的に扱う産業政策パッケージとして位置づけられています。

© European Union, 2025 – Source: EC Audiovisual Service, Photo: Guillaume Cortade
サプライチェーン強化と戦略的自律
EUは、特にバッテリー原材料を含む自動車サプライチェーンの強化を重要課題として位置づけ、約18億ユーロの投資を通じて安全で競争力のある供給網の構築を目指しています。 イノベーション基金等を通じたバッテリー産業支援の継続や、バッテリー部品に対する非価格基準の検討など、域内生産と持続可能性を重視する政策方向が示されています。
イノベーションと次世代モビリティ
次世代モビリティ分野では、European Connected and Autonomous Vehicle Allianceの設立により、コネクテッド・自動運転技術の共同開発を促進します。大規模試験場や規制サンドボックスの整備、自動運転に関する規制枠組みの発展、2025~2027年に約10億ユーロ(Horizon Europe)規模の官民投資などを通じ、技術開発と社会実装の加速が図られています。
国際競争力と公平な競争環境
EUは、反補助金措置などの通商防衛手段の活用を通じ、不公正な競争から域内産業を保護する姿勢を示しています。同時に、パートナー国との交渉による市場アクセス改善や、外国投資が欧州自動車産業の長期競争力に資する形で行われるための条件整備、規制簡素化による行政負担軽減も盛り込まれています。
CO₂基準と規制上の柔軟性
また、欧州委員会は2025年12月に、自動車産業のクリーンモビリティ移行を支援する「自動車パッケージ」において、2035年以降の新車に関する排出規制の枠組みの見直しを発表しました。従来、「2035年以降は事実上、内燃機関車の新車販売が禁止される」と受け止められてきた方針について、ゼロエミッション車(ZEV)への方向性は維持しつつ、達成手段における柔軟性を制度的に明確化しています。
具体的には、2035年以降の乗用車に対し、テールパイプ排出量90%削減を義務付ける一方、残る10%については、EU域内製の低炭素鋼材の使用や、e-fuel、バイオ燃料の活用による相殺を認めています。これにより、プラグイン・ハイブリッド車や内燃機関車についても、一定条件の下で2035年以降に役割を果たし得るとされています。
日本企業への示唆
EUは、自動車産業を戦略的分野として位置づけ、電動化、自動運転、バッテリーを中心に、域内の生産基盤や技術開発、サプライチェーンの強化を進めています。これにより、自動車関連分野では、研究開発、実証、製造、部品供給までを含む形で、EU域内での産業構造の再編が進みつつあります。また、CO₂排出基準や技術規制については、目標水準を維持しながらも、移行期における柔軟性や予見性を確保する方向性が示されています。
こうした政策の方向性を踏まえると、日本企業にとっては、単に製品をEUに売るか、現地進出するかではなく、研究開発や生産、サプライチェーンのどの部分でEUと関わるかが、今後のビジネス機会を左右する要素になりつつあります。
◆詳細情報
Communication: Industrial Action Plan for the European automotive sector
Communication: Decarbonise Corporate Fleets
Factsheet - Action Plan on the future of the automotive sector
Factsheet - Decarbonise Corporate Fleets
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